「失敗しちゃったね、旦那」 政宗暗殺を失敗した二人は追手を振り切ると、ちょっとした丘に凧を下ろした。すかさず佐助は凧をたたみ始める。手際よく事をこなすその横で、幸村は何かを考えるように来た方向を睨んでいた。 自分をつまらなそうに見ていたあの男に、思い知らせてやりたい。 その事だけが、頭の中を支配する。 「竜の旦那の素顔、始めて見たよ。随分と印象が違うもんだね」 幸村からは相槌すら返ってこないが、佐助は気にせず話しかける。 主がこう何か考え込んでいる時は次の手を模索している時。 この沈黙が終われば次に自分のやるべき事が示される。 幸村はゆっくりと佐助を振り返った。佐助は手を止め、聞く体制に入る。 「佐助、俺は伊達軍に仕官する」 「はいよ」次は潜入ね、と、皆まで言わずとも幸村の言いたい事を理解した。 「じゃあ顔を変えたほうがいいね」 「そうだな」 「得物は槍でいいの?」 「ああ」 「名前も決めなきゃね」 「適当に決めてくれ」 入用な物を揃えるため佐助が覚書を始めたその横で、幸村は未だに憎悪に満ちた眼を光らせていた。
伊達軍への仕官はあっけなく叶った。 やはり、先の川中島の戦で兵を失ったのが大きかったらしい。その事実に苦々しい思いを抱えつつも、幸村は城門くぐる。 彼の顔は佐助によって別人に変わった。 樹脂からとったゴム状の粘土の様な物で顔を覆い、人相を変えた。後ろに流した髪も切り、後頭部はとても軽くなった。 そして名前も変えた。幼名と字をとって、弁田源二郎とした。 あえて、武器を変えずにいたのは、暗に政宗への主張だ。 彼が気付くかは別にして。 仕官してすぐ、小さな小競り合いや一揆が勃発した。そこで幸村は目立つようにワザと不利な状況に陥り、その圧倒的な力でその場を切り抜けた。何度かそれをこなす内に何人かの武将に良くも悪くも覚えられるようになった。 季節は巡り、伊達に仕官してから一年が過ぎ去った。その頃には、軍の中で弁田源二郎の名を知らぬものはいない程の存在になった。 そんなある日、あの右目の男に幸村は呼び出された。
そもそも弁田源二郎という男はとても無口だった。 人とあまり関わろうとはせず、会話も必要最低限しか話さない。 戦場では嬉々として動き回るが、その後の宴では一人酒を飲むことが多い。しかもいくら飲んでも顔にも行動にも表れない。 そんな性格が功を奏してか、政宗の護衛に名が挙がった。 面通しの日、小十郎は下座に座る弁田源二郎を探るような目付きで睨みつけていた。 きりりとした眉と口をへの字に結んだその顔は、年齢に似合わず達観した雰囲気を匂わせ、硬い筋肉に覆われたその体つきは他の兵卒達とは比べ物にならない。 弁田源二郎はそんな小十郎の視線を気にせずに、静かに座っていた。 初めてこの様な場に呼び出されると、普通なら少なからず緊張するものだ。上司と一対一、しかも沈黙に包まれたこの場で居づらそうに動いたり、視線を泳がせたりするものだが、この男はそんな動作ひとつ見せない。 しかも、小十郎が戦場と同じような鋭い目付きで睨んでいるにも関わらず、この男は平然と座っている。 この状況に慣れているといわんばかりに。 (…気にいらねぇな…) この男の素性は調べたが、特に変わったところもなかった。だが、小十郎は本能的にこの男を気に入らなかった。 だが、そんな個人的な理由で彼から役職を取り上げるわけにも行かず、小十郎は弁田源二郎に政宗の護衛役を命じた。
早速今夜からの護衛を申し渡された幸村は、部屋に戻り少し寝ることにした。布団に横になり、そして独り言を言うように佐助に話しかける。 「殿の護衛になったぞ、今夜からだ」 「おめでと旦那。んじゃ今夜殺すの?」 そう答える佐助の姿はここにない。大方天井裏にでも潜んでいるのだろう。ここに来てから佐助はいつもそうやって幸村を護衛していた。 「いや、まだだ」 幸村の目にまた、暗い焔が宿る。 「政宗殿の俺を見る目付きが気に入らん。思い知らせてからでないとつまらん」 そなたは、俺をあのような目で見たことを後悔してもらわねばならぬ。 憎悪を含んだ幸村の言葉に佐助はひとつ提案をする。 「じゃあ、やっちゃえば?」 「…」 「竜の旦那の寝込みを襲ってさ、力づくで犯しちゃいなよ」相当抵抗されるだろうけどね。 冗談半分、本音半分の佐助の声を聞きながら政宗の痴態を想像した幸村は、自分が思いのほか興奮していることに気がついた。 「それも良いかもしれぬな。護衛に犯されたとあっては、政宗殿も他言せぬだろうし、それに」
竜を泣かせてみるのも、一興。
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